プロレタリア文学序説(1):プロレタリア文学とは何か

はじめに

プロレタリア文学は、名前が知られている割には読まれていない文学潮流の一つだろう。最も、一時文壇を、私小説プロレタリア文学かと二分していたのに、プロレタリア文学の作家と言えば小林多喜二が思いつくくらいだろう。

一方、プロレタリア文学の読み直しは、定期的に起こるように思われる。二〇〇八年の「蟹工船」ブームよろしく、現代の労働環境の劣悪さが話題になるたびに、人々はそれを一九二〇年代のそれと重ね合わせる。かつそれを受け入れられる文体の読みやすさというのがある。梶井基次郎の「檸檬」も、プロレタリア文学と並ぶ時期の作品であるが、そちらが全国の高校生を晦渋させるのに比べて、プロレタリア文学は現代の小説に勝るとも劣らないリーダビリティにその特質があろう。

文学史的に見て

プロレタリア文学が生まれる前には白樺派があった。白樺派と言われると、学習院の同人で刊行された同人誌『白樺』に集った人々を指す。強い自己肯定の意識と人道主義がその特質と紹介されることが多い。

最もその代表格・有島武郎学習院の生徒ではないのだが、小林多喜二有島武郎をよく読んだようである。

こうした人道主義的価値観は、いわば西洋で言うところの空想的社会主義と重ね合わせられるのだろうが、「のっぺりとした優しさ」のようなものがあった。それを小林多喜二も受け継いでいると考えてよいだろう。勿論、徳永直や葉山嘉樹も。

プロレタリア文学の作家の大多数は、別に「マルクス主義」からプロレタリア文学に到達したわけではない。彼らには一様にその「のっぺりとした優しさ」があったのであり、そこにマルクス主義という理論が移殖されて、それが奇跡的に花開いただけなのである。

プロレタリア文学とはどういうことか

時代背景からして、そうして「のっぺりとした優しさ」が生まれたのは必然なのだろう。では彼らをプロレタリア文学と呼ばしめるものは何なのかと問われると、これが存外に難しい。

彼らはマルクス主義に触れているということになっている。しかしそもそもマルクス主義が日本に導入されるとき、ソ連コミンテルンは日本のアナキストを五名呼び寄せ、スターリン直々のオルグによってマルクス主義者に「改宗」させた。

元がこうなのである。であるからして、当時の日本の「マルクス主義者」が真なる意味で「マルクス主義者」であるか──彼らが本当にマルクスを理解していたのかという点では疑問符がつく。

日本共産党を後に二分することになる福本和夫が、少数精鋭の共産主義政党を構築するという先鋭的な考え方で党の一世を風靡したのは、福本和夫がマルクスの著作を「読んでいた」からであった。言い方を変えれば、「読めていた」のである。

そもそもマルクスの著作は、マルクスが間もなく偉大な人物として世界に影響を与えたものの、日本での翻訳がそう早かったわけではない。『共産党宣言』などであれば同時代で翻訳されていたろうが、『資本論』が翻訳され、かつその翻訳が一般に分かりやすい内容であったとは考えにくい。

そんな中にあって、「マルクスが読める」というだけで、福本和夫は党内での尊敬を集めたのである。

小林多喜二にしてもそうだ。彼が小樽高等商業学校を卒業するときに提出したのはクロポトキン『パンの略取』の一部の和訳であった。彼としてはそれでも十分共産主義に接近しているつもりだったのであろうから、後世から見れば滑稽である。

あるいは多喜二は『小樽新聞』でマルクス資本論』を紹介した概説書を書評した。これに対して、「マルクスの『資本論』そのものを読まないとだめだろう」という旨の批判が寄せられると、「自分はあくまで概説書を書評したのだから、『資本論』を読んでいなくても問題ないはずだ」と苦し紛れに反論。しかし間もなくいそいそと『資本論』を読み始めたことが彼の日記から分かる。もっとも、その『資本論』もものの数日で挫折しているのだが。

つまり、プロレタリア文学を「マルクス主義に感化された人々の文学」と考えると足下をすくわれる可能性がある。彼ら自身、真なる意味で「マルクス主義者」として「適格」であると言えるほどにマルクス主義に通暁していたのかは明らかではないのである。

ジャンルの分類

プロレタリア文学と言っても、その話型は多岐に渡る。すぐに思いつくだけで、三つのジャンルが挙げられる。

第一に、労働者の過酷な環境をそのまま描いたものである。

こうした作品は、読者をアジテーションする目的がある。「こんなにも過酷な環境に人々がいる」ということを描き、ある人々の意識を目覚めさせ、ある人々に同志がいることを伝える。

そうした作品は私小説的形態を持つこと──つまり、自分の経験を描いていることが少なくない。実際に船員だった葉山嘉樹や徳永直の作品はそれに分類できるだろう。一方、小林多喜二は、叔父の援助でなんとかということだったにせよ小樽高等商業学校を卒業し、銀行に勤めたプチブルであるから、彼が描くこの手の作品はすべて聞き書きである。

そして、この種の作品は、労働運動に直結する場合も少なくない。小林多喜二蟹工船」を思い浮かべてくれれば良い。ここまでくると、「現に労働運動によって現状は改変できるのである」ということをやって示すようなところがある。

第二に、共産主義者たちの工作を描いたものである。

これは小林多喜二に典型的だが、共産党員たちが工場に散らばって工員をオルグし、着々と仲間を増やしていくような様子が描かれる。

第三に、そうした共産主義とは特に関係のないものである。

葉山嘉樹「死屍を食う男」のように、共産主義も労働運動も関係ないように思われるものである。一方それが単に芸術至上主義的な意味において、「美しい文学」ということで終わるかというとそうではなく、身体の破壊を生々しく描いているようなところがあるのだが、それをマルクス主義のような理論の延長線上で語るのはかえって難しかろう。

プロレタリア文学研究のこれから

プロレタリア文学研究は、文学研究の本流通り、作家の伝記的研究がメインである。それが思想統制治安維持法といった社会情勢とも関わりがあるものだから、社会科学系の学者も、プロレタリア文学に隣接するような研究を行っていたりする。

楜沢健のような作品論的な、あるいはテクスト論的な研究も無いではないが、かなり難しい。その原因はプロレタリア文学の問題にあろう。

プロレタリア文学の問題とは、さしあたり思想の問題である。従って、プロレタリア文学の本質を明らかにするということは、その思想を明らかにするということであるかのように思われる。だから、彼らがどういう道筋でマルクス主義と出会い、共産党の中でどういう活動をし、治安当局にどのような対応を受けたかというようなことを明らかにすることが、進むべき道であるかのように見える。

また、プロレタリア文学の文章が多くの場合「読みやすい」ということが大いに問題なのである。研究して明らかにするべき複雑さは作品には無い。だから作品ではなく作家を論じたくさせる。

しかし、作品ではなく作家を論じるということは、共産主義を論じるということなのであって、共産主義を論じるということは、その段階でagreeかdisagreeかということを迫ってくる。

つまり、共産主義にシンパシーを抱いていればプロレタリア文学を高く評価するのであり、反共ならばプロレタリア文学を評価しないという粗雑さがある。

従って、プロレタリア文学研究の進むべき道は、そうした思想の問題を切り離したテクストそのものの構造を明らかにすることであり、せいぜいそこから導きだされる、蓮實重彦的に言うところの「○○的「存在」」としての作家を逆照射することであって、作家の思想上の問題を云々することではないのではないかと思う。